Original Article by Christopher Currell
"BAD" ツアーではたくさんのことを経験しました。本にしない限り、さまざまな出来事を紹介することは不可能でしょう。このツアーは主に3つのカテゴリに分けることができます。リハーサル、ツアー(日本、オーストラリア、アメリカ、ヨーロッパ)、そしてツアー直後です。この3つの分野での私の経験についていくつかお話したいと思います。ツアーに関する政治的な駆け引きやビジネスの側面については、気が滅入るような内容もあるため、ここでは話しません。それでも書きたい情報が多いため、"BAD" ツアーでの私の経験については2回に分けたいと思います。今月はリハーサルについてお話します。来月は実際のツアーについて、そしてツアー後の出来事について少し付け足すという形でお話します。では始めましょう・・・。
電話が鳴り始めた!マイケルの周囲の人たちはみな、何が起きているのかよくわかっていませんでした。マイケルとフランクが会社を始めたということが直ぐに明らかとなりました。TTC Touringという名前で、ツアーに関するあらゆることを受け持つ会社です。TTCはツアーのためのスタッフを雇い始めました。以前のマイケルとの会話から、私はスタジオからライブツアーへポジションが移行すると予想していました。しかし、TTCで働く人の中には私の参加を疑問に思っていた人もいたようです。もし私がツアーに参加するのであれば、間違いなくステージ外での仕事になっていたでしょう。
ウェストレイクでのある日の午後(まだレコーディングが続いていました)、私のツアー同行について直接マイケルに聞きました。私にツアーでプレイしてほしいのか尋ねたのです。彼はイエスと言いました。何をプレイして欲しいのかと尋ねると、ギターとシンクラヴィアだと答えました。ステージでプレイするのかと尋ねるとイエスだと言いました。それから彼は、シンクラヴィアについて私に尋ねました。スタジオでアルバム「Bad」の制作において、シンクラヴィアはあまりにも重要な楽器になっていたので、彼はそれを私にライブでも使って欲しいと思っていたのです。ショーについてのマイケルの考えは、レコードをそのまま複製するというものでした。リスナーはアルバムを聴き、ショーを観に行けばアルバムと同じ曲が聴けるものと思っていると言いました。したがって、シンクラヴィアを使うことは、ライブショーに対する彼の考えを実現するために重要だったのです。
彼の私への問いは、過酷なツアー中、シンクラヴィアは毎晩安定して機能し信頼できるかどうかということでした。私の言う通りにしていれば問題ないと、私は答えました。ツアーでシンクラヴィアをメンテナンスするために、最高のエンジニアをメーカーから雇う必要がある。完全なるバックアップ・システムも必要になる。ホコリや熱、雨といったものからシンクラヴィア本体を守るために、ステージ外に空調つきのクリーンルームも必要になる、と伝えました。彼はツアー中も曲を書くためにシンクラヴィアを使えるようにして欲しいと言ったため、私のホテルの部屋にシステムを1台設置すれば、いつでも彼が使えるようにし、いつでも私が操作します、と答えました。彼は大喜びで、「よし、そうしよう!」と言いました。
このマイケルのリクエストをTTCのスタッフに伝えました。彼らは不満でした。シンクラヴィアをツアーに持っていくことは余計な作業が増えるだけではなく、シンクラヴィアをこのような高水準でツアーに持っていくということは前例がなかったからです。しかし、マイケルがそう言ったのだから、やるしかないのです!そしてツアー中にシンクラヴィアをメンテナンスするのは、シンクラビアを製造したNew England Digital Corp(NED)で働いているミッチ・マルクーリエにすべきだと言いました。
私はミッチに電話をかけて状況を説明し、興味があるかどうか尋ねました。彼の答はイエスでした。彼には、TTCに連絡してこの仕事を希望していることを伝えるようにと言いました。利害対立となるため、職業倫理上、TTCはミッチに対し公に依頼をすることはできないからです。ミッチはNEDに、このように非常に注目される状況下で、シンクラヴィアが正しく動作することを保証するためにツアーに同行しなければならないと報告しました。そうすればNEDのためにもマイケル・ジャクソンのためにもなるでしょう。誰にとっても喜ばしいことで、ミッチはツアーのテクニカル・クルーとして参加することになりました。
次にやらなければならないことは、どのようなシンクラヴィア・システムが必要なのかを正確に見極めることでした。曲と、演奏時のシステムの使い方に基づいて、シンクラビアのDirect to Diskレコーディングシステムを備えた、フル装備のシンクラヴィアが2台必要だと私は判断しました。さらに問題が発生した場合に備え、シンクラヴィア1台分のスペアパーツと予備のハード・ドライブが必要でした。システムは140万ドル!となりそうです。ワールド・ツアーでこのようなシステムを使うことができるのは、マイケル・ジャクソンだけでしょう。これに加えて、ホテルの私の部屋には、レコーディング用機材、スピーカー、ミキサー、私のエレキギターとエフェクターとともに、シンクラヴィアがもう一台追加されました。
私の一番の心配事は、どうやってシンクラヴィアをライブで演奏するかということでした。私はキーボード・プレーヤーではありません。ギター・プレーヤーなのです。私は最新の技術について調べる必要がありました。ギター・プレーヤーがギターのような演奏テクニックを使って、デジタル情報を確実にコンピューターに出力し、シンクラヴィアを作動させることができる楽器が必要だったのです。私は何でもすべて試しました!結局、私はシンタックスという楽器を選びました。5分ほど演奏することで、この楽器が必要な仕事をこなせることがわかりました。1万2000ドルでした!私は自分用に1台購入し、TTCにはツアー用に2台買ってもらいました。さあ、数週間で演奏法を覚えなければなりません!
一方で、バンド・ミュージシャンのオーディションが始まり、ノース・ハリウッドのリーズ・リハーサル・スペースにオーディション会場が準備されました。この会場にはあらゆるタイプのキーボードやギターアンプなどがそろっていて、オーディション中に必要であれば使えるようになっていました。ローリー・カプリンがオーディションを担当し、必要に応じてミュージシャンたちに機材を用意する手助けをすることになりました。ローリーはバンドのキーボード・プレーヤーの一人になりました。ローリーは以前、ジャクソンズのVictoryツアーでプレイしていました。
マイケルはオーディションには参加しませんでした。ミュージシャンたちのパフォーマンスを撮影するためにビデオカメラが設置され、マイケルは夜に自宅で見ることになっていました。
ツアーの準備に十分な時間があったわけではなかったため、可能性のある熟練ミュージシャンのリストは、この業界の専門家たちの紹介に従って素早く絞り込まれました。マイケルは自分の頭の中にあるバンドのイメージに合わせ、女性のブロンドのギター・プレーヤーを希望していました。ギター・インスティチュート・オブ・テクノロジー(GIT - 注:音楽大学ミュージシャンズ・インスティチュートの前身のギター・スクール)に連絡を取ったところ、学校側から上位5人の女性生徒を提供すると返事がありました。時間の制約から、TTCはその5人のプレーヤーの中から最高位のプレーヤーを派遣するようにGITに要請しました。
私は、ジェニファー・バトゥンがオーディションに来た日に、たまたまオーディション会場に居合わせました。彼女はボロボロのピックアップ・トラックに乗って現れました。彼女はGITのギター講師でした。彼女は自分のギターとアンプを持っていました。私と彼女はスタジオに入ろうとして鉢合わせとなったのです。その時彼女は、どこでセットアップしたらよいか私に尋ねました。彼女はロック・スターのようには見えませんでした…どちらかというと内気な図書館職員といった感じでした。私は彼女にステージを見せました。確か、ローリーもその場にいました。ジェニファーは何をプレイしたらよいかと尋ねました。私たちは好きな曲でいいと言いました。すると彼女は、「Beat It」のエディ・ヴァン・ヘイレンのソロをプレイしました。伴奏なしで!圧倒されました!その後、マイケルの家で私たちはビデオを見ていました。私はマイケルに、ジェニファーは本当にいいから彼女を見てみるべきだと言いました。彼はビデオを見て、とても興奮して言いました・・・「ワォ!彼女はいいね。でもルックスはなんとかしないと!」私たちは笑ってしまいました!そして彼女はすぐにバンドに加わりました!
次にベーシストの推薦者がやって来ました。ドン・ボイエットです!彼はポインター・シスターズなど多くの人々とプレイしてきた実績があり、この時もライオネル・リッチーの1年にわたるツアーを終えたところでした。彼は素晴らしいプレーヤー、とてもいいルックスだったので、即メンバーに決定となりました!
キーボード・プレーヤーは大勢オーディションをしましたが、マイケルはグレッグ・フィリンゲインズを希望しました。彼はスタジオで何曲か演奏したこともあり、またマイケルとは長年一緒に仕事をしてきました。なぜキーボードのオーディションをする必要があったのか、私にはよくわかりません。彼がバンドに加わった最後のミュージシャンでした。
ジョナサン・モフェットをドラマー、デヴィッド・ウィリアムズをギターにそれぞれ起用する計画のようでした。二人ともVictoryツアーに参加していたからです。問題は、彼らはマドンナとツアーに出ているということでした。マドンナのツアーは間もなく終わるため、バンドメンバーを交代するのに、2週間は時間が取れそうでした。その間、リハーサルのためにドラマーとギタリストの代役が必要でした。ドラマーにはリッキー・ローソンが入りました。彼はドン・ボイエットとともにライオネル・リッチーのツアーに参加していたので、二人はタイトな演奏が既にできていました。リッキーはツアーを終えて休暇が欲しいと思っていたところだったので、ジョナサン・モフェットの代わりにリハーサルだけ臨時で加わるということに同意しました。何とリッキーとグレッグは二人ともミシガン州デトロイトの出身で、既に何度も一緒にプレイをしていました。私もミシガン出身でデトロイトにも住んでいたので、奇遇だなと思いました。
LAのセッション・ギタリスト、ポール・ジャクソン・ジュニアは、リハーサルに代役で参加するように言われましたが断りました。彼はジョン・クラークというギタリストを紹介しました。私の記憶が正しければ、ジョンはレコード会社のメッセンジャーのアルバイトをしていました。彼は電話を受けると、一時的なギグであるにもかかわらず、二つ返事で承諾しました。
私がギターを弾くことになれば、私にもギターシステムが必要になるので、TTCにMesa Boogieのアンプとスピーカーを2セット買ってもらわなければなりません。でもすぐに、私の仕事はシンタックスとシンクラヴィアだけで手一杯になることに気づきました。曲を組み立て、プログラミングし、学ぶのにわずかの時間しかありません。すでに優秀なギタリストが二人もいるので、私はギターをプレイする必要はない、と判断しました。シンタックスとシンクラヴィアのプレイに集中するため、自分でギターを弾くというアイディアは捨てました。
この時点でのバンドメンバーは、私とグレッグ・フィリンゲインズ、ロリー・カプラン、リッキー・ローソン、ジェニファー・バトゥン、ドン・ボイエット、そしてジョン・クラークです。やっとバンド・リハーサルの準備が整いました!
日に日にサウンドは良くなっていきました。私たちは、バンドとしていかにうまく一緒に演奏できて、いかにサウンドが良いかに感動していました!
その頃、マドンナがツアーを延長したらしいということがわかりました。私たちの日本ツアーの中盤まで彼女のツアーは終わらない!これは明らかに問題でした。私たちのテクノロジーとパフォーマンスの融合は、ジョナサン・モフェットやデヴィッド・ウィリアムズであっても、少しのリハーサルまたはリハーサルなしで参加できるほど、簡単ではなかったのです。さらにバンドはその時点で素晴らしいサウンドでした!リッキーですら、気が変わってツアーに参加したいと思ったほどでした!バンドはミーティングを開き、これが正式のバンドになるべきだということで一致しました。私たちの考えをマイケルやフランクに知らせる必要があると思いました。そこでグレッグ、ローリー、私は、この状況を説明するためにマイケルとフランクと話し合いをしました。
私たちは、たくさんのテクノロジーが使われているため、他のミュージシャンを入れるのは簡単ではないと説明しました。そして、既によいサウンドであるバンドの基本的フィーリングを、違うドラマーやギタリストが変えてしまいかねないとも言いました。現在のメンバーが最終メンバーだと思うと私たちはマイケルに説明しました。マイケルは同意しました。彼も今のバンドのサウンドは最高だと考えていたのです!フランクも現在のラインアップに問題はないと思っていました。ジョナサンやデヴィッドが求めている高額の報酬の交渉に、ストレスを感じていたからです。というわけで決定しました!現在のメンバーが公式バンドになるのです!私たちは他のメンバーにこの良いニュースを知らせました。リッキーはとても興奮して喜んでいました!ジョン・クラークは涙ぐんでいました!彼はバンドの最終メンバーになるとは思ってもいなかったのです!彼は大喜びでした!
次はプロダクションのリハーサルです!
プロダクション・リハーサルはロサンゼルスのユニバーサルスタジオの一番大きなサウンドステージで行われることになっていました。このリハーサルで、私たちはすべてに磨きをかけます…音楽のアレンジ、ボーカル、サウンド、振付、衣装チェンジ、パイロ(特殊効果用煙火)も!
リハーサルの初日、私はシンタックスをストラップで固定していました。マイケルがやって来てそれを初めて見た時、彼の眼が頭から飛び出すのではないかと思いました!「ワオ!どこでそれを手に入れたんだい?」と彼は言いました。私は微笑みながら「自分なりの手段や方法があるんだ」と答えました。すぐに彼は、ジャクソンズのVictoryツアーの倉庫から未来的なギターを引っ張り出してきました。ジェニファーとジョンは礼儀上試してみましたが、演奏するのが難しいと丁寧に断りました。
毎日新しいメンバーが加わりました。初めてバックボーカリストたちが現れました…ケヴィン・ドーシー、ドリアン・ホリー、ダリル・フィネシー、それてシェリル・クロウです。
サウンドステージでは長時間にわたりリハーサルをする必要がありました。基本的に私たちは一日に2時間強のショーを3回やりました。夜には、マイケルの要望に従って、曲に追加や変更を反映させるため、私達は楽器のプログラミングを行いました。記憶が正確なら、私たちは午前10時に到着し、夜の1時まで働いていました。
私たちがその日の演奏を終えると、マイケルはダンサーたちと別の場所でリハーサルをしていました。
クルーがさらにやってきました。照明技術者たちです。最後にはノクターン・プロダクションズというツアー・プロダクション・マネジメント会社が雇われました。プロダクション・マネージャーのベニー・コリンズが指揮を執っていました。彼らはやってくると軍隊のように物事を進め始め、あまり楽しい感じではありませんでした。
音響の会社クレア・ブラザーズが巨大なサウンドシステムを持ってやってきました。リハーサルが進むにつれてこのシステムはどんどん大きくなり続けていったように思えました。
マイケルはアルバム「Bad」がリリースされるまで、収録曲をツアーでやるのを待つことにしました。その代わりに古い曲をたくさん演奏し、後で新曲を加えたのです。
マイケルは、「I Just Can’t Stop Loving You」と「Bad」はやることにしました。この2曲はアルバム「Bad」からの最初のシングルになることになっていたからです。そして彼は「Thriller」を初めて演奏することに決めました!
「Thriller」では、私は古いマルチトラック・テープに戻らなければなりませんでした。あのサウンド、あのエキゾチックなパーカッションなどのメインとなる独特の楽器の音が必要だったからです。そしてあのヴィンセント・プライスの古典的イントロも!これらすべてをシンクラヴィアに取り込みました。
「Thriller」のパフォーマンスで面白い話があります。マイケルが言っていたのですが、「Thriller」をリリースした時、彼の教会から多くの否定的な反応があったそうです。あの歌は悪魔の仕業だ、どんなことがあってもライブで歌うべきじゃないと思われていたのです。マイケルはそういう反応が理解できないと言っていました。彼には悪とか悪魔の仕業などの意図はありません。あれはハロウィーンのように、子供の遊びのようなもので、真面目なものじゃない、と彼は言っていました。しかし教会からの圧力は大きく、彼はそれに負けて「Thriller」を歌わないと同意していたのです。時間が経って、私たちが「Bad」をレコーディングしているころ、彼は教会を離れることに決めました。彼は、善良であること、他者を手助けすることといった教会の基本的な教えについては信じていました。でも彼は創造性を抑え込まれていると感じていると言っていました。したがって、教会から離れることを公式に決めたのです。マイケルにとっては簡単な決断ではなかったと思います。でもマイケルは初めて「Thriller」をライブで完璧に歌うことができたのです。振付も衣装も、オオカミ人間への変身も!やったー!
コンサートのセットリストが決まり、次の曲が入りました。
Wanna Be Startin’ Somethin’
Things I Do For You
Off The Wall
Human Nature
Heartbreak Hotel
She’s Out Of My Life
Jackson 5 Medley (I Want You Back, The Love You Save, I’ll Be There)
Rock With You
You Are My Lovely One
Working Day And Night
Beat It
Billie Jean
Shake Your Body (Down To The Ground)
Thriller
I Just Can’t Stop Loving You
Bad
ショーのリハーサルの合間に、私たちに合わせたステージ衣装が作られました。衣装デザイナーのマイケル・ブッシュに会ったのはこの時が初めてでした。ヘアメイクの担当はカレン・フェイでした。
ツアーの開幕のために日本へ旅する日が近づくにつれて、やらなければならないことが増えていきました。一番重要だったのはバンドメンバーの就労ビザとパスポートです。確か、日本へ向けて出発する日まで、1週間かそこらしかなかったはずです。ビザとパスポートをどうやったらそんなに早く取れるのかと思っていました。マイケルがどれほど影響力を持っているかを実感したのはその時です。バンドメンバーは、LAの入国管理局に一緒に行くようにと言われました。私たちは写真を撮り、その後部屋の奥で待っているように言われました。名前を呼ばれたら誰も見ずにすぐに部屋に入ることになっていました。15分くらい経って私の名前が呼ばれました。私は言われた通りに部屋に入りました。部屋に入ると、入国管理官が私のIDをチェックし、ビザが既にスタンプされたパスポートを渡してくれました。すごい!
私はツアー用のメガネもいくつか作る必要がありました。コンタクトは作る時間はありませんでしたし…そもそもコンタクトは使ったことがなかったのでちゃんと見えるのかどうかも分かりませんでした。LAのビバリー・センターへ行ってたくさん買い物をしました。カッコいいメガネフレームをいくつか買いました。処方箋はすぐにもらえたので次の日にはメガネを手に入れることができました。
日当のことを言われた時のことを覚えています。食事代や洗濯代など、日本旅行中に必要なものを賄うためのお金ですが、1日45ドルということでした!バンドメンバーの中の旅行通が、それでは日本では足りないと言いました。日本は物価が高いからです。普通はバンドの日当は1日70ドルくらいでした!私たちはもっと要求しました。TTCがそれに応じたかどうか覚えていません!私たちはものすごく節約を強いられたのかもしれません!!
私はKISSのようなルックスにするとカレン・フェイが決めました。顔はシルバーに塗られ、額には稲妻が描かれました。髪は黒く染められました。ジェニファー・バトゥンとシェリル・クロウ以外のバンドメンバーはみな髪を黒く染められました。彼女たちの髪はロングのブロンドになることになっていました。そしてカレンは私にヘアエクステンションを足したため、私の髪の毛は長くなりました!ワォ!
時間の制約があったために、私たちには、実際の音楽や衣装チェンジや振付や照明なども含めたショーの通しリハーサルを完璧にやる時間が与えられませんでした。いろいろな組み合わせをやりましたが、全てを通しでリハーサルしたことはありませんでした!関係者はみんなプロフェッショナルなので、日本のステージの上でショーが、どうにかして計画通りにまとまるだろうと私たちは願っていました!
その日はあっという間に来ました!私たちはLAXに集まり、次の目的地は…日本です!
来月は、Synclavier, Music and Michael Jacksonのストーリー:BADワールド・ツアーを締めくくります。
来月また「イベントホライゾン」でお会いしましょう!
クリストファー・カレル
2015年5月26日
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原文:
THE EVENT HORIZON – “SYNCLAVIER, MUSIC AND MICHAEL JACKSON” – PART 3
The "Bad" World Tour - The Rehearsals
by Christopher Currell
May 26, 2015
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※日本語バージョンを作成するにあたり、石井理英子様(MJJ FANCLUB JAPAN)に翻訳のご協力をしていただきました。
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